[追悼]中島貞夫監督

中島貞夫監督が6月11日に亡くなりました。88歳でした。謹んで哀悼の意を表明いたします。

中島監督が東映に入社されたのは、1959年、東京大学文学部を卒業してすぐのことでした。東京での研修後は京都撮影所の製作部に配属され、加藤泰監督(『紅顔の密使』)やマキノ雅弘監督(『恋山彦』、『神田祭り喧嘩笠』)、沢島忠監督(『一心多助・男の中の男一匹』)などの作品で助監督を務められます。映画監督としての一人立ちを目指してとにかくシナリオを書き続けるなか、初めて映画化に結びついたのが沢島忠監督『ひばり・チエミの弥次喜多道中』(1962)でした。クレジットには、高田宏治氏との共同ペンネーム「高島貞治」が記されています。

脚本には中島貞夫、高田宏治両氏の名前を掛け合わせた「高島貞治」としてクレジットされています。

監督デビュー作となったのは1964年に製作・公開された『くノ一忍法』で、脚本は倉本聰氏との共同執筆となっています。「くノ一(女忍者)」を主題としたこの「お色気時代劇」は、東映京都撮影所所長の岡田茂プロデューサー(当時)が推し進めることになる「東映ポルノ」の草分け的な作品として認識されています。この第一作目で中島監督は「京都市民映画祭新人監督賞」を受賞されました。「くノ一」ものはその後シリーズ化され、二作目の『くノ一化粧』(1964)も中島・倉本コンビが手がけています。

京都市内オール・ロケかつ隠し撮りが話題となった『893愚連隊』(1966)では、悪事を重ねながらエネルギッシュに生きる「愚連隊」を描き、「日本映画監督協会新人賞」を受賞するなど高い評価を得ることになります。本作は、中島監督による「やくざ映画」の始まりであり、時代劇で黄金時代を築いてきた東映京都撮影所が現代劇路線に踏み込んだ瞬間でもありました。

『あゝ同期の桜』(1967)をもって退社されフリーとなりますが、その後も東映での映画制作は続きます。任侠映画から実録路線へとシフトしていく東映やくざ映画の背景には、『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971)から始まる「まむしの兄弟」シリーズや、安藤組大幹部を主人公に描いた『安藤組外伝 人斬り舎弟』(1974)、第4次沖縄抗争をモデルとした『沖縄やくざ戦争』(1976)といった中島作品がありました。

一方、『温泉こんにゃく芸者』(1970)のようなお色気喜劇や『木枯らし紋次郎』(1972)のような股旅もの、カーアクションが印象的な『狂った野獣』(1974)など数多くの作品を世に送り出しており、フィルモグラフィーを見ると中島監督がいかに多岐にわたる題材を映画化されてきたかがわかります。

1984年には上村松園の生涯を描いた宮尾登美子の原作をもとに『序の舞』を制作し、第8回タシケント国際映画祭で映画芸術特別大賞、インド国際映画祭で監督賞を受賞するなど国際的にも高く評価されました。

映画図書室担当の石川一郎は、『女帝 春日局』(1990)に助監督として参加していました。本作では、京都撮影所が誇る三百坪のステージに原寸大の江戸城大奥を再現したことでも話題になりました。

石川が実際に使用していた『女帝 春日局』の脚本資料。撮影の過程では脚本の改訂が重ねられました。

1987年からは大阪芸術大学の教授に就任し、後進の育成に力を尽くされました。
監督としての遺作は、およそ20年ぶりにメガホンをとった「ちゃんばら映画」、『多十郎殉愛記』(2019)でした。その撮影の様子は、中島監督についてのドキュメンタリー映画『遊撃 映画監督 中島貞夫』(松原龍弥監督、2023)にも生き生きと収められています。

 

『極道の妻たち 危険な賭け』(1996)の撮影中。「極妻」シリーズでは『新極道の妻たち』(1991)、『極道の妻たち 決着』(1998)でも監督を務められました。

映画図書室では中島監督作品の台本や、スチル写真、プレスシートなど数多くの資料を所蔵しています。
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(原田麻衣)