片岡千恵蔵の手紙

片岡千恵蔵の手紙

映画図書室では台本やスチール写真、ポスターといった「オフィシャルな資料」以外にも、スタッフや俳優にゆかりのある「プライベートな資料」を所蔵しています。

先日はスター俳優・片岡千恵蔵の直筆の手紙を寄贈していただきました。

手紙の宛先は新聞記者、作家として活躍していた松崎天民(1878〜1934)で、小説家の菊池寛や新国劇を創設した澤田正二郎らと親交がありました。また、映画関係者では監督の稲垣浩とも交流があったようです。

手紙は天民のご令孫の方からお譲りいただきました。
松崎天民に関しては下記の評伝が出ています。

さて、天民には明治35年(1902年)生まれの息子がおり、明治36年(1903年)生まれで近所に住んでいた千恵蔵とはほぼ同年でした。そうした縁から、千恵蔵のことを子どもの頃からかわいがっていたそうです。

手紙の消印は「昭和8年8月20日」となっています(昭和8年は1933年)。千恵蔵が京都府立病院に入院していた時期のもので、天民が千恵蔵に送った手紙に対するお礼の言葉から始まっています。天民の病気を気遣いつつ(翌1934年に亡くなります)、自分の状況について「何時退院しても善く成りました」と書かれており、さらに2ヶ月ぶりに撮影所に行ったり、風呂に入ったりしたことが記されています。

1928年、片岡千恵蔵はマキノ・プロダクションを退社し、自ら「片岡千恵蔵プロダクション」を設立します。
翌1929年には京都の嵯峨野に撮影所を建設し、日活と提携して時代劇の製作を進めていきます。

若き日の片岡千恵蔵【東映太秦映画村・映画図書室所蔵】。

伊丹万作、稲垣浩を中心に千恵プロで製作された新味あふれる時代劇は「髷をつけた現代劇」と呼ばれて人気を博しました。

千恵蔵が天民に宛てて手紙を出した1933年には『国定忠治』三部作(監督はいずれも稲垣浩)が公開されています。

第3部(完結篇)『国定忠治 霽れる赤城の巻』の撮影中に千恵蔵は病気で二ヶ月の入院をしており、手紙はこの間に書かれたものと考えられます。

1936年に公開された市川千恵蔵主演の映画『女殺油地獄』(監督:藤田潤一、製作:片岡千恵蔵プロダクション、配給:日活)の台本【東映太秦映画村・映画図書室所蔵】。

映画図書室ではこうした手紙などの資料も閲覧することができます。
※なかには閲覧を制限しているものもあります。また、資料保護の観点から、現物ではなくデジタル閲覧をしていただく場合もあります。

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eigamura.tosyoshitu@gmail.com